小豆。のブログ

小豆。の気ままなエッセイ。毎週日曜日更新のつもり。

この1年さえ…

第5回

 

4月になり新年度が始まりましたね。

新年度の高揚感、新しい生活の始まりにウキウキする世の中で、

自分が取り残されていることに気づきました。

 

サークルの後輩が新歓公演の宣伝をしているの見た時。

一つ上の先輩が、社会人になる前にサークル時代の思い出を語っているのを聞いた時。

 

自分たちにはできなかったことを楽しんでいる姿に苦しくなってしまうんです。

 

 

コロナのせいで、私の大学3年生の思い出はめちゃくちゃになりました。

 

 

大人たちはこの一年我慢すればいいだけだって簡単にいうけど、

私にとってはこの一年が一番重要だったんです。

 

社会人にとっては何十年もある中の一年かもしれない。

 

でも私たちにとっては大学4年間の中で、

幹部代としてサークル活動できる唯一の一年だった。

 

挑戦したいこと、見たい景色たくさんありました。

でも、それを実現することは許されなかった。

 

 

ここを乗り切れば、この一年は耐えて、そう言われる度に辛かった。

私にとってかけがえないものになるはずだった1年は、捨て駒のように消えて行く気がした。

 

 

感染症という誰を憎めばいいのか分からない非常事態。

こうやって思うことさえ不謹慎なんじゃないかと、

心の叫びを発信することもできなかった。

 

今年は耐えて、来年はみんなで会いましょうと笑うアーティストさえ憎かった。

だって、私には来年がないから。

 

希望を込めて来年の話をする全ての人たちが羨ましい存在でした。

 

 

結局私たちのダンスサークルはいくつもの公演を中止しました。

お客様の前で披露できた公演は一つもなかったです。

 

コロナ禍でも、どうにか活動を続けようと試行錯誤してきたのに、

全部がなかったことにされるような喪失感でした。

 

この先、一生どんなに頑張っても手に入れることができない大切な思い出が、

空白の1年間で終わってしまった。

 

 

今年じゃなければと何百回も思いました。

でも、どんなに願っても事態は変わることはなかった。

 

 

誰かを責めたいわけでも、こうすれば良かったと言いたいわけでもありません。

 

この悔しさを共有できる人が少ないこともわかっています。

 

 

それでも、みんながしょうがないと諦めたあの一年を私は諦めたくなかった。

今年じゃなきゃダメだった。

 

 

きっとこの悔しさが晴れることはないでしょう。

 

 

それでも新しい生活に一歩踏み出すために、

いつまでも過去にとらわれないように、

ここに吐き出して終わりにします。

 

 

どうかこの事態が一刻も早く収束して、

私と同じような辛い思いをする人がこれ以上増えませんように。

 

とっておきの味

第4回

 

この間、一人暮らしを始めた友達の家に遊びに行った。

絶対一人暮らしできないだろってくらい生活力のない子だったから、結構心配してたんだけど、今の所は大丈夫そうで一安心。

 

私も、早く一人暮らししたいなって気持ちが強くなったり。

 

で、遊びに来るなら、夜ご飯を作って欲しいと頼まれまして、

そこで、私のとっておきの酒のおつまみを作った。

 

作り方はとても簡単で、いちょう切りしたレンコンをバターで炒めて、

よく焼けたら醤油を回しかけ、温かいうちにクリームチーズと和えたら完成。

 

その名もクリームチーズれんこん。

なんのひねりもなくてすみません笑。

 

これがめちゃくちゃ美味しくて、お酒にもご飯にもよく合う絶品料理!

友達もうますぎるって感激して、その場で頑張ってレシビ覚えてた。

 

 

実はこのメニュー、昔バイトしていた鉄板焼きの居酒屋のメニューを再現したもの。

 

オープンキッチンスタイルの居酒屋で、店長が鉄板でこの料理作るの横目で見ながら、

めちゃくちゃ美味しそうだなって思ってた一品。

 

このお店今はなくなっちゃって、本当に美味しい料理ばかりでバイト辞めても通いたいなって思ってたから、すごく残念で、、、

 

だからこうして、あのお店の味を家で再現して楽しんでる。

もちろん鉄板には及ばないけど。

 

お手軽で、美味しい、思い出の味は、

一人暮らしを始めたら、きっと我が家の定番メニューになることでしょう!

 

すごく美味しいのでよかったら試して見てくださいね〜

 

あの頃。を見たお話

第3回

 

初めて3回目にして投稿間に合わず、日付超えちゃった。

 

実は、先日『あの頃。』という映画を観ました。

phantom-film.com

映画『あの頃。』公式サイト

 

松坂桃李ハロプロオタクを演じるの?ドルオタなら観なきゃでしょ!と思って観に行ったのだけど、とてもいい作品だったのです。

 

多分この良さって何かをバカみたいに好きになって、

友達とバカみたいに盛り上がったことがある人ならわかるんじゃないかな。

 

 

 

良かったシーンはたくさんあるんだけど、

松坂桃李演じる劔(つるぎ)くんがあややと出会うシーンがすごく印象に残ってます。

 

コンビニ弁当食べながら何気なく再生し始めたDVDだったのに、

いつの間にか箸が止まって、釘付けになってしまう。

 

アイドルに出会って人生が変わる瞬間を松坂桃李は目の演技だけで表現した。

 

すごかったなぁ。

感情がめちゃくちゃ伝わってきて、その感覚が痛いほどにわかるから、

なぜか自分まで泣けてきてしまって、焦りました。

 

 

私もハロプロオタクではないけど、小学生の頃にAKB48のあっちゃん(前田敦子)のファンになって、それから10年以上いろんなアイドルを応援してきましたけど、

本当に出会いって突然なんですよね。

 

今までだって見たことはあったはずなのに、

急にその子から目を離せなくなってしまって、

この子のことをもっと知りたい。もっと見たい。って居ても立っても居られなくなるというか。

 

なんかそんなオタクの姿を誇張するでもなく、バカにするでもなく、

まっすぐ淡々と描いてくれたことが嬉しかったのかもしれない。

 

 

近年よくあるオタクを誇張してバカにする映画じゃなくて、

一人の生き方としてオタクが描かれていた。

 

そりゃそうですよね、オタクだってそこら中で普通に生活してんだから。

でも一般人に擬態しきれないところは、愛おしかったり。

その塩梅がすごくちょうどいい映画だった気がする。

 

 

 

そしてもう一つ嬉しかったのは、あの頃「は」良かった。にしなかったこと。

 

サブカルとかオタクとかがテーマになると、

あの頃は楽しかったけど、もうそうではいられないとか、

あの頃好きだったものはもうなくなってしまって、仲間たちとも会わなくなってしまったとか、

そういう結論になりがちなんですよね。

 

特に最近見た『花束みたいな恋をした』とか、こっちは本だけど『推し、燃ゆ。』とかはこっちよりだったから、なおさら嬉しかったのかも。

 

まぁ、実際はそっちの方が普通なんでしょうね。

上記の作品も面白かったし、『花束みたいな恋をした」の方なんかは名言多すぎてビビったし。笑

みんなあの頃があって、それを卒業して大人というかなんというか成長していく。

好きなもの自体も、解散したり卒業したり、最終回迎えたり、永遠じゃない。

 

 

でも、あの頃の時間ってそんなに虚しいものじゃないよって思う私も居て。

 

 

そんな時にこの映画は、

最高に楽しかったあの頃。があって、今はもっと最高だよ!って言ってくれてるような気がした。

これは私の解釈だからそれは違うだろって人もいるだろうけど。

 

でも最後の橋で、劔くんとコズミンが喋るシーンは、

そういう救いというか希望のシーンだったなって思います。

(詳しく知りたい人は、ぜひ映画館で見てください!)

 

 

これってハロプロのオタクの話だからこそより説得力あるんですよね。

モーニング娘。という20年以上輝き続けているグループもいて、

新しい若いグループもどんどんできてっていう、

本当にあの頃も今も楽しいって思える時間を届け続けてくれているハロプロだからこそ、あのシーンが魅力的だったんだろうなって。

 

 

そんな映画を一緒に見てくれたのは、

中学生で知り合った生粋のジャニーズオタクの友達でした。

 

彼女とは中高と毎日のように学校で推しの話をして、

たくさん一緒にコンサートも行って、北海道まで遠征したこともあって、

大学生になって会える時間は減ったけど、

それでも会うと、あの頃みたいに盛り上がれる。

 

そんな私の楽しかったあの頃も、

これからの楽しいも一緒に共有するんだろうなって人と、

「面白かったね」「いい映画だね」って語り合えるから、

きっと私は今、最高なんです。

 

 

あの頃があって、今がある。

 

 

そんな当たり前で、尊いことに気づかせてくれた作品でした。

 

 

恋ING聴きながら書いたら、涙腺ゆるゆるでやたらポエミーな文章になってしまった。笑

 

猫がいる日常。

第2回

 

私は猫派か犬派で言えば圧倒的に猫派だ。

猫の呼んでも来ないとことか、人間に迎合しないとことか、

とにかく高貴で誇り高い生き方が、羨ましいなぁと思うのです。

 

そんな私の家には、オス猫が一匹いる。

小学校1年生のクリスマスの朝起きると、枕元にうごめく何かがいた。

サンタさんのプレゼントにねこが来たのだ。

死ぬほどびっくりして、「おかーさん、ねこがいるよぉ!」って必死に報告しに行ったのを覚えてる。思い返しても、とても可愛い子供だった。

 

ねこっていうのは面白いもので、自分の接する人間にヒエラルキーをつける。気がする。

うちのねこの中では、父が一番下で、ご飯くれる母が2番目で、なぜか一番上に私がいる。

 

私が外出して帰ってくると必ず玄関にいる。

母の話によると、私がマンションのエントランスについた頃ぐらいから待っているらしい。

忠犬ハチ公か。って思うけど、かわいい。

 

私が夜寝ていると必ずベッドの足元にやって来る。

枕元とか布団の中に入ってくるわけじゃない。距離感の取り方がうまい。

ただ、足元っていう完全な死角だから、時々気づかずに蹴っちゃうことがある。

「ごめんっ」て謝ると、気をつけてよね?って顔しながら、また丸まって寝る。

 

よくいる愛猫家みたいに、たくさん動画撮ったり、写真撮ったりはしないけど愛してる。

私の日常に自然に溶け込んで、寄り添ってくれる。

そばにいなくても、家の何処かにいるって思うだけで心が落ち着く。

一人っ子だったから、なおさら。

両親とも家にいない時、私の味方はねこだけだった。

 

だからわたしにとってはペットというより、一緒に成長してきた兄弟みたいな存在。

あっちもそう思ってるんじゃないかな。

 

もう15歳も超えてだいぶ歳をとって、去年の春には大手術もした。

これからどれだけ一緒にいられるか分からないけど、

もう少し猫がいる日常を生きていたい。

所信表明

第1回

2021年3月7日。

私はブログを始めることにしました。

 

毎日いろんなことに、いろんな感情を抱き、いろんなことを考えて生きているはずなのに、気づいたらそれが一般的な言葉に変換され、普遍的な出来事に収束されていくのが怖くなった。

何年か経って思い返したら、私の人生はよくある人間の、よくある人生になってしまうのではないだろか。

 

なんの取り柄もない普通の21歳だけれど、私なりにこの人生を生きた意味があって、私にしか感じられないことがあったと思いたくなった。

 

 

そんな時にマガジンハウスから出版された『弘中綾香の純度100%』という本に出会った。この本はテレビ朝日の人気アナウンサーである弘中綾香さんの連載エッセイを書籍化したものだった。

 

読んだ瞬間に「これだ!」と思った。

今ハマっていること、過去の忘れられない思い出、将来への不安や期待などを、弘中ちゃん(普段そう呼ばせていただいている)が、自分の言葉で自由に語っていた。

 

弘中ちゃん自体はテレビでよく見かけて、ユーモアがあって可愛らしい女性だなと思っていた。でもこの本を読んで弘中ちゃんのイメージがガラッと変わった。そしてこれまでの何倍も魅力的な人に見えて好きになった。

 

そんな風に思えたのはこの本に記されていたのが弘中ちゃんしか語れない弘中ちゃんの話だったから。

今までぼんやりと見えていた弘中ちゃんという人に、急にピントがあって鮮明になったような感じだった。

 

 

そして、私も私にしか語れない私の話を残したくなった。

紙の日記でもよかったのかもしれないけれど、読む人が自分しかいない日記は、自分に対してネガティブになりすぎて悶々とする気がしたので、精神衛生上良さそうなブログという形をとった。

 

 

正直、私は就職活動真っ最中でブログなんてやっている場合ではないのかもしれない。

でも、書きたいと思ってしまった。

 

就活で話すガクチカや自己アピールじゃない普段の自分の方が、もっと面白くて楽しくて私らしいのに、私らしいことをESに書こうとしているのに、気づいたら何処かで聞いたような話ばかり。

 

自分の人生はもっと個性的で、もっと楽しい。そんな自己満足を叶えるためだけのブログ。

それでもよかったら、私という人間の日常のお話を見守ってください。

 

 

毎週日曜更新とか言ってるけど、休んじゃう日もあるかもしれない。

話題も統一性がなくて、その時思いついたことを書く自由気ままなブログ。

 

でも、それこそ人生っぽいかなって思うのです。

統一性も規則性もない、ありのままの私の人生を誰かが面白いなって思ってくれたら。

 

 

今回のブログのタイトルは、私にブログを書こうと思わせてくれた弘中ちゃんのエッセイの第一回のタイトルをお借りしてつけさせていただきました。

私のブログは読まなくてもいいけど、ぜひ弘中ちゃんのエッセイは読んでみてください。オードリーの若林さんとの対談なんか、すごく真面目で面白くて最高ですよ!

 

 

それではまた来週。